母さん、ぼくのあの睡眠時間

仕事に疲れた人たち同士で合作しあった結果大作になり、もったいないので掲載でもしておこうかと思う次第なり。

母さん、ぼくのあの睡眠時間
どうしたでせうね?


ええ、オフィスから得意先へ行くみちで、
会議室で落とした
あの睡眠時間ですよ


母さん、あれは好きな時間でしたよ
僕はあのとき、ずいぶんくやしかつた


だけど、いきなり無理が降ってきたもんだから


母さん、あのとき、向こうから
訳の分からない担当者が来ましたっけね、
問答無用という難題を持った。


そして、ずいぶん行く先を断ってくれましたっけね。


だからたうとうだめだつた
なにしろ重い空気で、
それに圧力が朝の山手線ぐらゐ
満ちていたんですもの


母さん、ほんとにあの睡眠時間
どうなつたでせう?


そのとき傍で話していたスーツの兄さんは、
もうとうにやつれちやつたでせうね。


そして、秋には、灰色の霧があのビルをこめ、
あの睡眠時間のかわりに毎晩
携帯が鳴ったかもしれませんよ


母さん、そしてきつと今頃は


今夜あたりは、あのごみ函に、
静かに企画書が降りつもつてゐるでせう


昔、ふつうに摂れた、あの穏やかな睡眠時間と、
その代わりに僕がした打合せといふ現実を埋めるやうに、
静かに、寂しく....

西條八十万歳。


そして今日も何時に帰ることが出来るのか読めない。
とりあえず今は27時20分。

WEB2.0が定義しきれない理由考察

 昨今WEB2.0論議熱が非常に高まっているが、どれを読んでも結局「WEB2.0とはぶっちゃけ何なのかが解らない」に帰着する。

 大体において論じている文章たちが「WEB2.0には色々な捉え方があるが」なんて前置きして始まっているのだからしょうがないといえばしょうがないのであるが。

 それら文章をいくつか集めて並べてみると、ちょっとした論点や結論の差異に応じて、まるでグラデーションのように並べることが出来る。そのグラデーションレベルに応じて、順々に読んでいくと何だかわかったような気に成れるのだが、ふと我に返って最初と最後の文章を比較してみると、全く違うことを言っていたりする事に気づく。


 そんなこんなで最近の私はWEB2.0に翻弄されっぱなしだったのだが、ある時他人の文章を読むことを止めて一歩引いて考えた時に「似たような混乱した話が有ったな」と思い出した。



 ケータイの第四世代の話題である。



 ケータイは、アナログ→TDM/GSM→CDMAと、通信方式の変遷によって第一世代、第二世代、第三世代と呼ばれてきたが、ここ次の第四世代の段になって急に「そもそも第四世代とは何か」という定義から始まり、しかも各キャリアや研究機関等の専門家達がそれぞれ思い思いのことを言うものだから、定義自体が混乱している。

 通信速度だけのことを言う人もあれば、共用できるほかのインフラとの融合の話だったり、そして後者であれば、共用する選択肢がまた多彩に分岐する。搭載される機能のを語る場合も有り、そうなってくるとさらに多種多様だ。

 そして、その混乱している定義の上に「第四世代のケータイ像」等を語るものだから、選択肢はさらに分岐し、動物園かと思うようなの多彩さを見せている。


 この混乱は、ケータイそのものは「第三世代時点で通信方式の進化が一段落している」からに他ならない。にもかかわらず、同じ土壌で進化の世代論を語ろうとしているから混乱する。

 ケータイの進化はこれまでインフラの進化で語られてきた。その文脈で、第三世代までやってきた。

 しかし、第三世代まで来た時点でさらに付加される進化は、通信スピードの「向上(方式の変換ではない)」であり、既存のインフラとの融合であり、端末自体への機能追加であり、それらはまさにキャリアなりメーカーなりが「サービス/商品提供上選択できるもの」でしかない。

 カメラ付かそうでないかが売り上げを左右したように、無線LANに対応しているかしていないかは商品戦略上考えるべきことで、業界的に定義できることではない。


 ゆえに、「Beyond 3G(通称)」と呼ぶ人はある意味正しい。


 もはや、ケータイの進化は、コレまでのケータイインフラ世代論で語るべき土壌ではないのであり、新たなる場、新たなる進化軸において語り、必要であればば世代分けすべきものなのである。

 ケータイ第四世代論の混乱は、そこに起因していると私には思えてならない。




 さて、話を戻そう。


 WEB2.0論が混乱しているのも、ケータイ第四世代と原因が同じように思えるのである。
 WEBという存在は、ある意味誕生した時点で完成されていたといっても良い形態を持っていた。この十数年間で起きた変化は、XMLJavaFLASHなどの手法の進化であり、WEBそのものの捉え方を劇的に変化させるような進化は起きなかった。

 そして、WEB2.0論のどの話を聞いても、大きくステップアップするような変化の話は見当たらない。

 それは何故なのかといえば、WEBの進化が技術だけでは語れないものだからなのである。技術であれば、ある程度の線引きは可能だ。そこに世代論を持ち込んでも、無理は生じない。

 しかし、技術以外の要因が大きく作用するとき、しかもその要因を明確に定義しきれないとき、議論が混乱するのは当たり前の話なのである。


 そもそもWEBというものは、普及し始めた頃からWEBの最終形態、つまりは「究極のWEB像」というものを持っていた様に思う。ただしそれは技術的な進化ゆえの最終形態ではなく、人間の考え方であるとか、社会のあり方とか、企業のスタンスとか、そういったものを諸々踏まえた「生活の変化」だった。

 インフラも、情報も、一極集中の支配から逃れて分散化し、全ての情報がリンクしたB2B、B2C、C2Cを超えた、P2Pの世界へ。それゆえにもたらされる情報取得方法の変化、しいては生活の変化へ、一個人が世の中を動かせるかもしれない社会の変化へ。

 インターネット黎明期は、実はかなりその状態に近かった。そして、そのまま行けばその理想へ近づくと思われた。その時期にネットに関わっていた方々は、懐かしく思い出されるのではないだろうか。「古き良き時代」と。


 が、しかし、インターネット人口が増えるにつれ、きつい言い方をすれば「民度が下がり」セキュリティというものが必要になった。そして、何よりもインフラを維持するのにはお金が、つまりは資本力が必要だった。

 故に「全ての情報がリンクした」はほぼ保たれたものの、分散化からは程遠い、一極集中の時代に変遷した。紙と電波だけだった頃に比べれば、多少なりともP2P的情報やりとりがされてはいるものの、結局のところ世の中を動かすのは資本力を持ったところが放つ情報が中心だった。


 ここで余談だが、インターネット黎明期に立ち上がっているネット系ベンチャーというのは、総じてクリエイティブ系のものが多い。WEBで世の中が変わるかもしれないと飛びついた、ある意味理想を追い求めるもの達の集団だ。

 その後、結局のところ一極集中に落ち着きかけ、所詮は資本力がモノを言う様になる兆しが見えた時代に立ち上がったベンチャーは、ビジネス的、まあ言ってしまえば金儲け的色合いが濃い(まあ、ライブドアなんかがいい例だろう。ちなみに個人的に堀江さんは好きでも嫌いでもない)。


 話がそれたが、一般的に「何かわからない動きが発生している」というものほど怖いものはない。よって、資本を持ちえた者たちは「自分の手の平内で制御された動きしか出来ない」ようなサービスを提供したり、何かしらかのフィルターをかけることにより「顔の見える生活者達」をこぞって集めて管理しようとした。

 そして実際のところ、そんなサービスが思いのほか使い勝手がよく、楽チンだったこともあり、多くの人たちが一極集中サービスをこだわりなく使い、それがまた人を呼び、一極集中状態がどんどん極まっていった。


 しかしここに来て、こと日本で言えば2chをはじめとする匿名掲示板文化、特定の企業管理下に置かれないファイル交換Winny、ユーザー達が作り上げるナレッジのWikiはてな、企業が提供する会員ではなく、自由につながるSNS、そしてリンクの拡がりを爆発的に期待できるブログ........などなど、一極集中ではない形態が、徐々に徐々に広まりつつある。

 そしてこのままWEBは大きく変化し、企業WEBの存在のあり方も変えていき、それこそがWEB2.0の時代なのだ、と多くの人は言っている。



 そうだろうか?



 企業は、企業であり続ける限り、つまりは世の中に対しての責任を負い続ける限り、そして企業体というものを守らなくてはいけない責を持ち続ける限り、一極集中的な情報展開は変えることが出来ない。

 どんなことがあっても、企業サイトと勝手サイトの2つが両立する状態は変わらない。勝手サイトのほうが、世の中的人気を勝ち得ることがあっても、それでも企業サイトは変わらない。


 そしてまた、WEB上で展開されるサービスもまた、一極集中による会員管理、そしてその会員をバーターとしたビジネス(バナーであったり、マーケティングパネルとしての提供であったりまあ色々だろうが)を変える事はない。

 一般ユーザーが何か爆発的に人気を博すサービスを広く提供したとしても、それはそれとしてまた別の優れたサービスを開発し続けるのみであろう。



 何かが変わっていくとしたら、それは比率だろう。一極集中管理下にあるものと、実態捕捉の難しいP2P的なものの比率。

 そしてその変化が生み出すものは、トップダウン的な世の中の把握しづらさだ。メーカーにとってはマーケティングデータが、マスコミにとっては世論が。まるでステルスのような、レーダーに引っかからない情報や人間がの比率が増えるだろう。



 しかし、これはWEBの変化ではない。社会の変化だ。社会の変化自体は、まあ徐々に変遷するとしてもドラスティックであるといえると思う。マスコミュニケーションや、マスマーケティングが効きにくくなる時代だ(ちなみに完全に効かなくなる時代は来ないと思う、私見だが)。

 そしていつか振り返って「あの頃が実はターニングポイントだった」と、時代の線が引かれるのだと思う。



 実は私は、多くの人たちが語るWEB2.0は、この社会変化のことを言っているのではないかと捉えている。そして、社会変化であるが故に、WEBのどのコミュニティやどの活動やどのシステムの開発が促進するのかを明確に定義できない。

 さらには、その社会変化のレベルも人によってまちまち、つまりゴール設定も人によって違うから、ますます明確に定義できない。


 だから、WEB2.0論は混乱している、と私は思う。




 故に、WEB2.0論というものをナンセンスだなあと思っている自分がいたりする。

 WEB黎明期に存在した人たちが心の中で掲げた各々の社会的理想に、ちょっとづつちょっとづつ近づいている、そんな夢物語をWEB技術やコンテンツ内容で語ろうなんてそんななんて味気のない。


 WEBが爆発的に普及したのは、ある特定の技術でもコンテンツでもサービスでもなんでもない。ぶっちゃけ、パソコンの値段が下がったからだ。そして、メールが便利だったからだ。

 だから変わるのはWEBではない。人が変わり、社会が変わるのであり、だから敢えて名付けるのであれば「次世代情報化社会」ぐらいの感じで(笑)。





 でもまあ、あながち間違ったことを言ってはいないと思いますよ?






 とはいえ、世の中的にどうしてもそれをWEB2.0と呼ぶのであればそれはそれ。そして私の考えるWEB2.0は「マスでは世の中を捉え辛くなる時代」のこと。そんな感じの結論で、いかがでしょうか。

終戦記念日に寄せて

自分の友人知人達が、終戦後60年にあたって「自分の周辺の戦争体験を語る人」についてブログやmixi日記で語っているのを目にしました。知人関係は別にかぶっていない人たちなのに、同時多発的におこっているのが何故か興味深く。


という訳で、自分も記しておくことにします。



(1)父
昭和12年長崎生まれ。
終戦時は小学校3年生で、佐賀県小城郡疎開していた。
長崎に残っていた姉(私から見ると伯母)は、8/9の原爆により死亡。父(私から見ると祖父)は、原爆病で2年苦しんだ後昭和22年に死亡。


(2)高校のときの日本史の先生
終戦時に満州に居住。
日本へと逃げる途中、隠れ場所を中国人に見つかるが、母と子供の組み合わせであるのを見ると、殺さずに見ない振りをしてもらえ、それにより無事に日本に帰国できたという。
この経験により、日本の現代史を1年かけてじっくり教えるということに使命感を感じ、私の通っていた女子高で教鞭をとっていた。



それにしても、日本の君が代ドイツ国歌と同じような理由*1で歌わせるといえば、結構皆納得すると思うんだけどな。

*1:現在のドイツ国歌は、本来オーストリア国歌であったハイドン作曲のものを、無理やりヒトラーが奪ったものである。敗戦後ドイツは、自分達の行った非道を二度と忘れない為にも、敢えてこの力で奪った歌をそのまま国歌にすると宣言し、今に至っている。

いろんな意味でヲタ話

世の中にはヲタクな人は数多くいるが、ぶっちゃけ敬遠される人と受け入れられる人とに分類される、と思っている。多分、この点は多くの人の了承をえられることと思う。


が、敬遠と受入の境界線が、一体どこら辺にあるのだろうか、というのは意外にはっきりしない。


ヲタクたるもの、それが例え敬遠される存在であろうと、受け入れられる存在であろうと、一旦しゃべりだしたらそれ相応の脳内世界と知識量を持ちえており、社会的受け入れられ具合の高低はあまり関係なかったりすると思う。


しかし現実に、「あの人ヤバイ」「あの人たちヤバイ」と一歩引いて見られてしまう人たちと、ごく普通に社会生活を送る人、いやむしろ「ある特定のジャンルになるとタガが外れるけど基本面白い」と積極的に受け入れられる人と、明確に分かれてしまっているのは確かなことで。




その差は一体どこから来ているのだろうか?




そもそも敬遠されるヲタクは、ファッションがやばいとかしゃべり口調がやばいとか目つきがやばいとか、いろいろ判別するポイントが上げられるが、それら判別ポイントがなくても「どうもあの人はちょっと敬遠したい」と思わせる全体的な雰囲気、というものが存在する。

そのなんともいえない「全体的な雰囲気」は何なんだろうかと、常々考えていた。一般人に何が加わると「敬遠したくなる雰囲気」が作られるのだろうか、あるいは、一般人がどの一線を越えてしまうと「敬遠したくなる雰囲気」を持ちえてしまうのだろうか、ということだ。


これが判れば、それにさえ気をつければ一生私は円滑な社会生活を送ることができるわけだし、判らなければ、気付かないうちに敬遠される雰囲気を身にまとっているかもしれない。判らない故に、そうならない様常にびくびくしなくてはならないのは、ちょっと時間がもったいない。


何を加えてはいけないのか、何を超えてはいけないのか、色々思いつきはするもののいまひとつしっくり来ない。と、この週末ちらほらと某イベント開催の為に「敬遠される側に分類される人たち」をちらほら目にする機会があり、観察しているうちに、ふと思いついた。



プラスオンではなく、マイナスではないだろうか、ということである。



受け入れらている人に、何かを足すと敬遠されるのではなく、受け入れられている状態から何かを引くと敬遠されるようになるのではないだろうか。ある一線とは、受け入れられる為に必要な要素を、こそぎ落としてしまうマイナスの一線ではないだろうか。そしてそれは




「世間を気にする目」




では無いだろうか?


同じ「いや所詮私はヲタですから」という台詞でも、自分を茶化すのと、開き直るのとでは大きく違う。
あくまで世間との比較が存在し、自分の存在のバランスを図りながら茶化し気味に自分の嗜好について語るのと、自分の脳内世界優先であくまで基準は自分にある開き直りによる自己正当化・自己顕示の違いがそこにある。(但しここで断っておくが、敬遠されることを悪い、とは思っていない。私自身が、敬遠されたくないと思っているだけの話だ。だから、別に馬鹿にもしないし、差別もしない。そういう人だと思うだけだ。話して楽しければ友達にもなる。)



しかし、敬遠される人たちは、世間を気にする目をこそぎ落とした結果、脳内世界を最大限に引き出す自由を得ていると言っても良いと思う。


世間の目を気にするが故に、つまり冷静であるが故に「どう考えても15歳のきれい目の男の子の格好を30近い不細工な女がやるのは無理があるだろう」と考えてしまうところを、世間を気にしないが故に「私はこのキャラクターの格好をしたいからする」とコスプレをする。


世間の目を気にすれば、周りの雰囲気に合わせて会話の内容を変化させていくが、世間の目を気にしないから自分の好きなことだけを語り続ける。或いは書き続ける。

ただし、そんなことをしていると「いわゆる世間」は受け入れてくれなくなるから、受け入れてくれる友達を探す。そして見つけた友達はまた同類であるから、お互いがお互いの相乗効果で、脳内世界はどんどん高まっていく。

そして「仲間同士」の自由な世界で想像や妄想や行動の威力は増していく。同時に、世間の目など気にしないパワーも高まっているから、自分が浮いていることも気にならなくなる。いや、むしろこの大切な仲間達との時間こそが守るべきものである。そして仲間同士でのみ通じる言葉や言い回し、口調が発生する。しかしそれらは世間からしてみれば異様なものと映り、ますます敬遠される。だが、こんな楽しい時間を知らないなんて、世間一般人はむしろバカだと、自らも世間と一線を引く...............こんな循環が、徐々に「敬遠される」雰囲気を形作っているのではないだろうか?


「判りやすいヤバ目ヲタの格好(黒づくめとかゴスロリとかまあ色々)」なんてものは、仲間内の相乗効果の結果の一つなのだろう。格好が先に来るのではなく、世間の目を捨てたがゆえのゴールのひとつであるのだろう。

だから「似合わない人ほどそういう格好をしたがる」発言は、そもそも世間の目を捨てているのだから、労力の無駄なのかもしれない。


しかし、世間から敬遠はされたものの、脳内世界は萌えMAX、幸せ度は満載だ。世間を気にしていた時よりよほど楽しいかもしれない。ああこれはもしや






「脳内妄想による幸せ」と「世間からの受け入れられ具合」の等価交換(笑)?








さて、気の移ろいやすい私は、世間の目を気にせず暴走したところですぐ飽きることを知っているから、タガを外さず次から次に様々なジャンルに手を出し、ぎりぎりまで堀っては留まることを繰り返す。故に、今のところ脳内世界の萌えMAXは体験出来ていない代わりに、世間からもぎりぎり見放されてはいない.............と、思っているが、果たしてどうだろう?


実はとっくに何かを引き換えに、世の中から逸脱してしまっているのかもしれない。しかしそれはもう、知らぬうちに私を敬遠した「世間一般最大公約数な人たち」のみが知ることで、教えてもらうことはおそらくかなわず、もはや本人は気付くこともできないのだ(笑)。

震度7体験

行ってまいりました、本所防災館


震度7」「消火器使用」「暴風雨」「暗闇で煙にまかれた建物から脱出」の4つで、それにプラス3Dシアターの鑑賞がついたコース。



最初は3Dシアターなのだが、コレ、正直怖い。まず、シアターにディズニーランドのスターツアーズののような設備がついていて、画面で地震が来ていると椅子も「ゴゴゴゴゴゴゴ」ってゆれるもんで、臨場感たっぷり。


しかも、ビルの上からガラスが降ってきたり、火花散ってきたり、看板倒れてきたり、そんなものが全て3Dで見られるので怖いことこの上ない。映像と判っていてもドキドキしてしまう私は、結構画面で振ってくるのガラスをよけようと体を引いたり、振ってくる看板から逃げようと手で体を防御したり、バーチャルとわかっていても結構暴れた。...........ええ、バカですよ、そのとおりです。でも何か怖いからしょうがない。


と、純粋に地震の恐怖について映像から学びつつも、実は頭半分「結構逃げ惑う人とかちゃんと撮ってるよなあ......エキストラ何人用意したんだろ、金かかってるなあ」「下町のシーンはセットかなあ」などと、余計なことを考えていたり。


なんせ全体的にファッションが古いというか、映像が古いのが実感できる訳で「コレいつごろ作った奴なんだろうなあ」などということも含め、かなり突っ込みどころ満載。でも一番受けたのは、オフィスで被災しているシーンで、パソコンの画面が





黒背景に緑文字




だったことだろうか。やっぱり本当に、地震震度システムもそういうシステムなんじゃないかという気が急速にしてくる。


突っ込みどころという意味では、登場するおばあちゃんが位牌を手に持って一生懸命逃げるシーンがあって、非常にその手に持った位牌が避難に邪魔そうに見える。映像だと。で、ついつい「おばあちゃん、とりあえず位牌は懐か袂か割烹着のポケットにでも入れて、両手空けて逃げないとあぶないよ!」とやきもきしてしまうわけなのだが、多分自分がそういう状況になったら、凄い大事なものは手にしっかり持ってしまうんだろうなあ、としみじみ考えた。


まあ、とりあえず映像を見るだけでも十分価値あり。「災害が起きた時、どんなポイントで人間はパニックになったり恐怖を感じたりするのか」というのが非常によく感じとれる内容。アレを日本国民全員が見たら、かなり大地震が来ても皆それなりに冷静に対処できるような気がするんだけどな。ぜひ見るべきだ、マジで。




で、シアターのあとは地震体験。



私達のグループは大きなお友達集団だったので(笑)、全員震度7を体感させてもらったわけだが、はっきり言っておきましょう、震度7







吹っ飛ぶ







という感覚が近い。日常、あれが突然来たら、思考停止頭真っ白になるのは確実。地震体感部屋に入って「来るぞ、来るぞ」と思いながら待ち構える状況でも、ドカンと最大の揺れが来た時の脳内は「◎*#$%&×+###**+*〜〜!!!!!!!」以外のなにものでもなく、




ととととととりあえずこのざぶとんであたまをほごしてつくえのしたにもぐってとか言っても揺れがすごくてつくえがどんどんもってかれるしつくえがとばされないようにあしをつかんでってこっちのあしをつかむととなりにいるひとがつくえのしたにもぐれないからてをどかさないとっていうかまじですごいゆれなんですけどなんなのこれもう






ボゴン  <茶箪笥崩落音





ぬうおおおおおおおおおお!!!!!!!!





と、揺れがだんだん収まってきて、ようやくコンロの火とかガスの元栓とか湯沸かし器のスイッチとか切らなくちゃとかを行動に起こせるような状況なわけで。いやすごい。震度7は、この間の東京であった地震の2倍ぐらい揺れるとか、知識ではわかっていても体がわからない訳で「本当に体が動かない位の凄い揺れ」なんだと、まさに実感。


しかし、これも知ってて地震を迎えるのと、知らないで初回一発目本番なのとだと、もうパニック具合が違うよなあと。体感部屋で「来るぞ来るぞ」と思いながら体験してこの怖さなので、前振りなく(当たり前)きたら、本当にただただ怖いとしか言いようがない訳で。


あと、地震って揺れてるのって大体1分ぐらいらしく、火がついていても燃え移りには限度がある訳で、揺れが落ち着いてから消火にかかっても間に合うのだそうだ。だから、揺れている間はとにかく自分の身の安全を考えたほうがいいらしい。でも、1分てやっぱり凄く長く感じるし、その間にもの凄くいろんなことを暴走気味に脳は考えてしまうのだなあ、ということも気付いた次第。あまりの恐怖に、むしろ脳みそがクロックアップしている感じというか。ぎゅんぎゅん余計なことを考える。


いやもう、ほんとすごい。



で、地震の後は消火体験。


消火器の持ち方とか使い方とかを実際にやるわけだが、冷静に考えると消火器って凄い存在。人の命が懸かっているような重要な道具なのに、まず「使い方を練習・体験」することがないんだからね。


使う時は「常に本番」しかも大抵「初めて」な上に「失敗が許されない」状況で、さらには「かなりの極限状態で心理的に焦っている」ことが殆ど。かなり究極の状況だ。
ソラでいえるぐらい頭にも体にも叩き込んだような動作であっても、ミスはするというのに、失敗が許されない状況で「生まれて初めてのことをする」っていうのは、結構考えただけでぞっとする。自転車とか水泳レベルで体に叩き込んでおかないとやばいような気がする。


電車の中で突然ガラの悪い女子高生に取り囲まれて、「メールの早打ち対決に勝利しないと.......わかってるんだろうね?」と絡まれたが、自分の手にあるケータイは実は今日買ったばっかりのものでしかもまだ説明書は読んでいない、とか、そういう状況に近い。


そう、やるかやられるかの状況で、おろおろしている場合ではない。瞬発力並みの反応で消火活動に当たる必要がある。だって実際、これを読んでいる方で「消火器の使い方をこの場ですぐ述べなさい」って突然聞かれて即答できる人って、実はそんなに多くないんじゃない?




そして次は、暴風雨体験。

これはあれ。台風中継なんかで、レインコートを着たレポーターが「御前崎からの中継です」などと風と雨にまみれながらしゃべってる、あれの体験を出来る。最大瞬間風速30Mとかそういうやつ。


これ、風については東京のビル風が突発的に30Mクラスになることがあるので、「そんなやばいぐらいに凄い」という訳ではないのだが、雨はやばい。目を開けていられないというか。つくづく台風の時は外に出てはいかんと心に深く刻み込む。ほんとやめようねほんとに。




最後に、煙体験。
これは、煙が充満し、しかも電気が消えて真っ暗な建物の中を非常口を求めてさまよう体験。ちなみに一瞬迷子になりかけた(笑)。真っ暗だと結構そうなりがちのような気がしたし、実際の火事なんかは暗くなっちゃうんだよね。やはり、普段からの非常口経路確保の確認は重要。とっさのときにどこに行けばいいかわからないって絶対焦る。


にしても、部屋に充満していた煙は妙に甘ったるいにおいでしたが、あれは何なんだろうか(笑)。

しかし、大きな建物だと必ず防火シャッターがついていて、ともすれば「防火シャッターが閉じる前に逃げないと閉じ込められる」という発想をしがちだが、閉じ込められるということは無い。ともすれば避難中に、数十メートル先でシャッターが落ちようとしているのを目にするとパニックになりがちだが、そういうことの無いように.....シャッターはあくまで人煙を止めるためのもので、非常口と言うのは必ず確保されているので....。





にしても、ツアーの案内役をやってくれたおじさんが元消防隊員で「自分も今度こそやばいと思うような体験を何回かしました」という台詞を聞くと、ああ本当に災害って怖いなあと、そして改めて「備えあれば憂いなし」という言葉を実感。


自分の身を守る、というのももちろんのこと、人に迷惑をかけないための備え、というのもある。パニックになって、逃げる時に人を押してしまうとか、そういう単純なところから始まって「無知ゆえの罪」を起こし、それが強いては次の被害を生み出すこともある訳で。


そのためにも、本所防災館、本当にお薦め。生き残る為に、周囲を守るために、そしてネタの為に(笑)、是非是非訪問を〜。




ちなみに、体験に夢中で写真撮影は忘却(笑)。一枚もなし....

日航機墜落から20年

実はその日、私は草津にいた。


父の友人の別荘に遊びに行っていたのである。で、そのころ星を撮影する事に凝っていた父は、季節柄ペルセウス流星群の為に、三脚を構えていた。それに付き合って、私も流れ星探しなんぞをしていたのだが、その日、流れ星にはありえないほどの滞空時間というか、尻尾も含めて数秒間見えるほどのモノが流れた。


流れ星、というよりももはや火球ともいうべき光り輝き方で、その場で観測していた人たちはみな「すっげーー!」「いまのはすごかったね!」「すごいよあれは!」「史上最高だね」などと、口々に叫んだのだった。



生憎、そちらの方にカメラを父は構えていなかったので、その流れ星の写真は残っていないのだが、今でもペルセウス流星群の話を振ると「あのすっごい大きいのは、ほんとに凄かったよねえ」という話に必ずなる。それぐらい強烈な流れ星であったのだ。




そして、その流れ星のほかにも数々の流れ星を見て(その年は確かペルセウス流星群の当たり年だった)、興奮冷めやらぬまま帰路につき、朝、起きてテレビをつけたらどのチャンネルも日航機墜落事故のニュースで埋め尽くされていた。



ふと、半分冗談も含めて「昨日のあのスゴイ流れ星って、亡くなった人たちの魂だったりして」などと言っていたのだが、実際調べてみると(父は撮影記録を残していたので、そこから辿れるのである)、まさに観測場所から御巣鷹の方角に流れていたたことが判明した。



まあ、流れ星を見た時間はかなりの夜中、飛行機が落ちたのは夕方、時間はずれているものの、何か偶然とは言い切れないものを感じずにはいられなかった。




日航機の事故の時期になると、それを毎年思い出す。そしてただただ亡くなった方のご冥福を、お祈りするのみである。