時は淡々と進んでいく

大学時代、マクドナルドでバイトしていた。実質働いていたのは1年半ほどだったのだが、自分の人生においてかなり濃密な体験の場であったと豪語できる空間であった。たかがマクドナルドバイトごときでと思われるかもしれないが、確かに自分が働いていたあの当時あの店は、最高の店長と最高の社員と最高のアルバイト達で構成された、最高のお店だったと言い切れると思う。まあ実際に、マクドナルド社内で全て最速で昇進し続けた店長の元、鍛え上げられた社員達とアルバイト達が「日本一の店」を目指し、実際に日本一の店(マクドナルド評価基準によるものであるが)であったのだから、豪語しても良いような気がする。偶然とはいえ、たまたまその場所で私はアルバイトできたことを、今でもとても幸運だと思っている。(普通の方はたかがマクドナルドと思われるかもしれないが、本当に最高だったんだよ!)


その最高の空間の立役者である、優秀なる店長が転職することになったということで、久しぶりにバイト、社員一同で集まって飲み会をした。店長(まあ現在はもっと偉くなっているわけであるが)の壮行会であり、社員・バイト一同の同窓会であり、久しぶりの再会を祝いつつ大いに飲み、騒ぎ、お互いの空白の数年を語り合いつつ、バカ話をしつつ、将来の展望を語りつつ、その場にはいない仲間の近況を知らせ合いつつ、延々と話は尽きない。


しかしふと、音が止まる瞬間というものがあり、その空白の瞬間を皆で酔っ払いながら「何だよ、しーんとしちゃったじゃねーか」「霊が通ったんだよ霊が」などと笑い飛ばすのであるが、そう流しながらもふと我に返る。


こうやって一堂に会したときに思い出さずにはいられない人がいる。


あの日、朝から働いていたのは4人だった。5時半から出勤し、7時にお店を開け、お店が開いてお客さんを迎え入れつつ1時間ほどぐらい経った所で、その人がやってきた。お店の様子を見て「落ち着いてるみたいだから、事務所で事務処理してても平気かな?」と聞かれ、アルバイト一同「大丈夫っすよ」と笑って答え、笑顔で彼を事務所へと送り出した。そして、9時を過ぎてアルバイトが2人来て、そして朝から働いていた4人が交代で事務所で休憩を取り、休憩から戻り、昼間のピーク時に向かって、アルバイトは増え続け、事務所は人が入れ替わり立ち代り出入りするようになる。

そして、その中の一人が事務所の掃除当番で、掃除用具の入った倉庫を開けた時に、そこには首をつって自殺していたその人がいたのだった。

もし自分が休憩の時に倉庫を明けていたらもっと早く発見できていただろうかとか、でもその発見したことが果たして彼にとって良い方向に向かったのだろうかとか、考えても仕方が無いことながらも未だに頭の中はぐるぐる回る。そして、一つには絞れない色々な要因が次々に浮かび、到底防ぐことが出来なかったであろうことに思い至り、自分の無力さを思い知る。


ふっと、場の音が途切れた時に、私の真横にはまさに発見者の女の子がいて、隣には私の前に休憩を取った人がいて、斜め前には一番最初に事務所に戻って着替えて帰った人が座っていることに気付き、思わずその事柄について発言しそうになり、はっとして自分を抑える。


その事件は、誰もが心を痛めながらも、仲間内ではもう決して口に出してはいけない出来事だ。それを知る誰もが、もしかしたらと悔やみつつ、自分の中でひそかに消化していくしかない出来事だ。そして、その話題が出ないことこそが、その事件が風化していないことを何よりも証明している。さらには、誰もが消化しきれていないことを証明している。


その当時高校生だった子が、いまや社会人として企業で働いている。
あの時お葬式で、何も判らずお母さんにくっついていた二人の乳幼児は、もう小学生になっているはずだ。



月日は淡々と過ぎている。
少なくとも、あの場に出くわしたそれぞれは、それぞれ固有の方向へ人生を着実に歩んでいる。
出来ればあの事件で心に傷を負った人たちが、立ち止まったままでなければよいと願う。
物事を忘れないのとしがみつくのは違うから。





そんなことを瞬間に思い巡らせつつ、再び場が喧騒に戻ると共に、自分もまたバカ騒ぎに参加する。



あの人と同じ歳になる時も近い。