なんかこう積極的に同意はしてない感じっていうやつ

マスコミや政府は「合法ドラッグ」を「脱法ドラッグ」と、最近呼び変えるようにしているようだ。


合法ドラッグ」というと、そこはかとなく安全性とか安心感なんかもあるような「大丈夫感」がものすごく漂う。もちろん「合法ドラッグ」と言う名称は、売り手側がつけたものだから、より売れるように、効果の高い名称を選んでいるからにすぎない。所詮はドラッグだ。安全性も安心感もあったものではない。


そもそも、権威は決してそのドラッグを認めてはいない。そして、購入者もその事を頭では理解している。しかし「合法」との名がつくことで急速に「ヨサゲなモノ」に見えてきてしまうというカラクリがここには存在する。実態は「法律の目を潜り抜け、今のところ服用しても犯罪者扱いされないドラッグ」と言うだけで、要はドラッグといえばドラッグでしかないというのに。


だからその実情通りの名前を付けよう、とすると「脱法ドラッグ」になる。そして、そう表記した瞬間に急速に本来の「ドラッグ的アングラ感」が浮上してくるから不思議なものだ。



しかし、「脱法ドラッグ」こそが商品の実情をよりよく示す名称にもかかわらず、いかんせん「合法」という言葉の強さには勝てないのではないかと思ってしまう。オレオレ詐欺もそうだが、最初についた名称が余りにも強烈な響きを持っていると、いつまでもそれに引きずられがちで、実情と名称がいつしか離れていく現象を引き起こす。


今後、マスコミや政府は「脱法ドラッグ」と呼びつづけることで、誤って魅力的に見えてしまう「合法ドラッグ」という言葉を駆逐しようとしているのだろうが、まあ、かなわない夢なんじゃないかと何となく思えてならないのだ。



さて、「合法ドラッグ」と「脱法ドラッグ」という言葉を二つ並べて眺めていると、「積極性」と「消極性」という言葉を想起させる。

そもそも言葉というものは何かを表現するものであるから、えてして積極的に何かを主張する言葉の方が多い。故に「いや、なんかそういうわけじゃなくて、そう、ホラ、そこまでのことを言いたいんじゃないんだけど、と言って別に反対しているわけじゃなくってさ」という消極的な気持を非常に表現しにくい。


合法ドラッグ」の「合法」は、そのものをより良く見せる様に働く、積極的にそのものを肯定する言葉である。一方「脱法」の方は「とりあえずなんか、そうなんだけどさ」的な匂いが漂う言葉だ。「いや確かにさ、そう、法律的には違反してないんだよ、なんかさ、微妙に今の法律の隙間にはまっちゃってさ、取り締まれないわけよ、でもほら、ドラッグはドラッグなわけだしさ」ってな感じである。


そして私は最近、この「脱法ドラッグ」の「脱法」感を非常に欲している。



別に賛成しているわけじゃなくて、反対じゃないというだけでそんな.......うーん.......ねえ?
いや別に積極的にこの人が好きって言うわけじゃなくて、嫌いじゃないというだけなんだけどさ。
これが良いというわけじゃなくて、他に何かいいもの無かったし、だったらコレ、ぐらいなんだけど。



という、こんな感じの気持を何か一言で表したい。



肯定の和、から一歩退いた感じを示したい。



「ここに私の積極性は無いんですよ」と何か一言で釘をさしたい。




但し「しょうがないな、許してやるか」と言う、ちょっとなんだか上から見た感じではなくて、あくまで、何かそっと一歩引いた感じと言うか。



そうやって考えるうちに、「合法←→脱法」なら「合意←→脱意」とかどうだろうとか、疲れた頭でふと思ってしまうのだった。「○○条約、脱意の上で調印」とか書かれると「ああ、しぶしぶ締結しちゃったんだな、まあ、しょうがないよね」って感じにならないだろうか。「○○と△△が対等合併に脱意」とか書いてあると、「ああ、どっちかが何かすごーく不満を持ってるんだけど合併を中止するほどではないんだな」とかいうことが伝わってくるとか。



何か、そんな感じの言葉ですよ。脱意は違うと思うんだけど(笑)





何か、ねえ、有りませんかね?