カーネルさんの悲劇

1985年の阪神優勝の折に、優勝の立役者ランディー・バース選手に似ているという理由だけで、ケンタッキー・フライドチキンの創始者でもありマスコットでもあるカーネルおじさんを「バースや、バースや!」と興奮したファン皆で胴上しげ、ついには道頓堀に投げ落としたということがあった。そして、未だにそのカーネルおじさんは見つかっていない。先日、道頓堀のごみさらいが行われたがそれでも見つからなかったらしい。まあ、そんなわけで投げ落とされたカーネルおじさん人形が恨みに思って阪神を優勝させないんじゃないか、という話がまことしやかに流れていた。


 今年こそその呪いは解けるか?なんて話が出るぐらい、今年は阪神が優勝しそうな気配だ。しかし、おかげで私はわが母校、というかむしろ我が学部、いや学科の先輩が残した逸話を突然思い出してしまった。



 ちなみにその人物だが、大学一ヘンなやつが集まっていると嫌がられる学科に所属している上に(ってこれは私もそうなんだが)、空手部主将かつ、構内で浜松ナンバーの原チャリ(大学は千葉に在ったので、浜松から原チャリにのって延々千葉までやって来たに他ならない)を乗り回す、とにかく破天荒という言葉がピッタリで有名な男だった。


 ある日えらい落ち込んでいるので「珍しいですね」と言うと、「いやさあ、昨日警察につかまっちゃってさあ。空手の練習のあとに飲んで、そのあと家に帰ったんだけどさあ、ホラ、昨日暑かったジャン?だからさ、トランクス一枚で原チャ乗ってた訳よ。そしたらさあ、わいせつ物陳列罪だろ、ノーヘルだろ、下駄履きだろ、スピード違反だろ、飲酒だろ、それから二ケツだろ、ああ、あと一時停止無視で、免許不携帯で8重罪とかなっちゃってさあ、もう、むかつくよなあ。」そういう男である。


 その男はある日酔っ払って、下宿にカーネルおじさんを連れ帰ってきてしまった。「いや、おまえならわかると思うんだけどさ、ああいう人形ってなんか夜中にぼうっと光ってると、すごく親切に話を聞いてそうに思えるのよ。ペコちゃんとかさ、わかるだろ?」.......いいえわかりません。ちなみにその人は中身こそ豪快だが、外見は165cmぐらいでしかも細身の男なので、よくもって帰れたものだとやや感心する。いくら空手で鍛えているとはいえ.....ねえ?


 さて、彼は朝起きてカーネルおじさんが部屋の中にいることにびっくりした。絶対誰かのいたずらだと思い、片っ端から空手部の後輩にカマをかけつつ電話するが、誰も違うようだった。どうやら自分らしいと気づくが、それにしてもカーネルおじさんが学生の一人暮らしの部屋には邪魔なのであった。これを一体どうしてくれようと悩んだ挙句、彼は実行に移した。夜中に、近所の公園の公衆電話までずるずると運び込んだのである。



 そして、次の朝彼はお店に電話をかけた。



 「もしもし、わしじゃ、カーネルじゃ。
  今、○○公園の公衆電話にいるんだがのう、道に迷ってしまって帰れんようなのじゃ。
  誰か迎えに来てくれんかのう?」



 ガチャ、ツーツーツー。


 次の日、ケンタッキーに様子を見に行ったら、定位置にカーネルおじさんは戻されており「迷子を助けてくださった心優しい方にお礼申し上げます」と、張り紙がしてあった。


 「俺って、いいやつだとおもわねえ?」


 .........全く思いません。



(後日談)
ある日、ケンタッキーのサイトを見てみると

▼立像にまつわるエピソード
1985年(昭和60年)の阪神タイガースの優勝の折には、熱狂した2〜3人のファンが道頓堀店の立像を、バース選手に見立てて胴上げを始め、その場では社員が止めたものの、間もなく10人程のファンが再度胴上げ。通りはファンで埋め尽くされており、止める声も届かないままに橋まで運ばれ、そのまま道頓堀に投げ入れられてしまった。止めに入っていた社員は、店に帰ってみるとユニフォームがボロボロだった。
道頓堀店では、以来、立像を設置していなかったが、92年7月の改装を機に再度設置することになり、改装オープンの日には、約50名の報道の方がみえた。「日本は平和なんですね」とは記者の方の感想。

立像は、従来、店頭に置いてあるだけであったが、いたずらが多発するために、現在ではボルトで固定し、盗難を防いでいる。
(略)
「わしじゃが、いま駅前の電話BOXで電話しているから迎えに来てくれ」などという電話もあり、従業員が行ってみると頭を突っ込んでいるということもあった。
http://www.kfc.co.jp/story/colonelB.html

こ、これは..........。