どこからどこまでが浮気で遊びで本気なんだ

二人の男性(仮にKさんとFさんとする)と飲む機会が有った。
二人とも今年で29歳、一見したところさわやか青年である。


Kさんはある日突然「フリークライミングを体験したい」「クラブで踊るのを体験したい」というのと同様に、「100人斬りの人の気持ちを体験したい」と思い、実行に移した男である。出会い系サイトを駆使し、年間20を目標に頑張った。で、実際年間20以上を簡単にやり遂げ「なるほど、これを5年続ければ100か」と先が見えたら空しくなり、打ち止めにした人物である(ちなみに結局今は多分70人ぐらい、だそうだが)。


Fさんは「遊びはやはり若いうちにしておくべきだ」と思い立って路上ナンパを始めた。折角なので、と手帳につけていたらしいが、ある日数えてみると136人だったらしい。その後は空しくなって手帳につけるのをのをやめたという人物である。多分、200人は行ってないと思うけどねえと、言っていた。


という、二人に両脇を固められて飲んだわけである(笑)。



しかし、彼らの会話を聞いているうちに、どうもわからないところが出て来るのだ。


次から次に、とっかえひっかえ女の子に手を出しているにも関わらず、「失恋して悲しかった」と語る。そして「彼女は欲しいよね」と呟く。これはよく言う「本気の相手」と「遊びの相手」は違う、ってやつだろうかと考えた。
でも、「遊びのつもりが本気になった」って言う話をよく聞いたりするけど、そこらへんの境界線のあやふやさ加減が彼らにはない。なんせ、Kさんは「本気の相手には慎重にじっくり行く。俺は臆病だからね。」と言うのだ。でも、一方で「今月だけで既に出会い系で2人とやってしまいました。」とさらっと答える。
女の子に対して常に積極的で、とりあえずやってみてよかったら続けて、駄目だったらその場限りというのではないのだ。やりたいだけのときは常にさらっと、本気なときは真剣にじっくりと、女の子を目の前にしたときの一番最初のスタンスが、最初っから既に2種類ある。


それが見えてきたので一応確認してみる。
「100人切りに挑戦していたとします。その作業は非常に順調に進んでいます。そんな最中、彼女に振られました。ショックですか?」


「もちろん。それはショックでしょう。」
「つまり、100人と、彼女は同じ女でも違うんですね。」
「全く別の物ですね。」


そこが確認できると、私はもっと知りたくなった。
種類は、一体どのように区分けされているのだろう?
境界線は、どういう理屈で引かれているんだろう? ってね。



Kさんは言った。
「ラーメン食べ歩きしていたら、会社を首になった感じ」。



よ く わ か ら な い (笑)



「うーん、近所の草サッカーチームで遊んでたら、プロチームの契約を切られた感じ?」
これは、近いらしく反応があった。


「"サッカーのトレーニングという主目的のために、草サッカーをやっていた"ら、"職業のサッカーを首になった"感じかな。」
つまりこれは、「サッカーをやっている」という見え方は一緒なんだけど、そもそも目的が「トレーニング」と「職業としての試合」、と全く別のものなのである、ということだ。


つまり、100人切り中にも関わらず彼女がいなくて寂しい、とか言い出すのは「プロチームと契約されない悲しさ」に近いということか。トレーニングばっかりやってても空しいぞ、と。


加えて説明をされたことには、「本人としては、トレーニングをできれば何でも良いんだが、草サッカーの試合に出るしか方法が無い、って限定されている感じ。」だから、サッカーをしたくてプロチームに入りたいのだが、草チームでサッカーをやるのは「自分のサッカーの能力を鍛えること」が目的だから、そもそも自分の気持ちはかぶっていないという訳だ。「チームから見たら、素人のサッカーに参加しているように見えて不謹慎だけど、本人としては、どうしてもトレーニングをしたくって、しかも他に手段がない。」という訳らしい。


草サッカーをすることによって、選手の経験値は地道に上がっていくのは事実だ。だが、見え方が問題であるという理屈なのだ。


そっかそっか〜、とおもう。
じゃあ例えば、彼女と別れちゃうのは「ここのチームはそろそろいづらくなってきたかも」という感覚に近いのかもしれない。現実は、「戦力外通告」とか「君はチームがなくても大丈夫だよ」とかあるだろうし、逆に「もっと条件のいいチームが引き抜きをかけて来る」なんてこともあるだろう。金銭トレードとかちょっとイヤだけど.....(笑)


しかし、私はこういう風に解明された結果、ちょっと自分自身のことも整理されたのだった。


私は、例えば相手が女の子に求める物が100有ったとして、私では80しか満たせないとする。そしたら、その20を満たす為に他にふらふら行ってしまうのを浮気となじり、容認しない人もいるけれど、私はそれはOKだ。だって、どう頑張ったって80しか満たせないのが私なのに、相手に残りの20は我慢しろと強要するのってなんかおこがましいような気がする。それに、じゃあ残りの20を満たして、自分が100に成れるのかと言っても、それはなんかムリだとおもう。100にする努力をすることが、別の何かを犠牲することになって、むしろもともとあった80を60に下げちゃうかもしれない。そもそも、そんな残りの20のために二人の関係がぎすぎすしていくぐらいなら、20は外で満足してもらって、その分、自分と一緒にいるときはお互いに楽しい気分であるような関係の方が、幸せな気がしている。

この話を人にすると、よく理解できないといって怒られるのだが、上の話に当てはめるとこうだ。


私は選手の為に、チームとして出来うる限りのことはするけれども、その選手個人がプライベートでトレーニングしたいという環境までは付き合って上げられない、という考えだ。つまり、トレーニングはチームに迷惑がかからない範囲で自己責任で完結させておいて欲しいのだ。もちろん、トレーニング中に事故を起こして怪我をしたりなんかしたら、チームとして怒るけどね(笑)


そう。
なんとしてでも選手を引き止めたいが為に何でも用意するチームもいる。お前ごときにそこまで用意してやれないから我慢しろ、というチームもいる。あるいは、用意はしてやれないけど勝手にやるのも駄目だからずっと監視する、というチームとかね(笑)


そして、一方で自分が選手の立場である事もあるわけだが、選手である時はどうだろうと考えると、サッカーは自分のチームでしか絶対やらないんだけど、でも、野球もラグビーもその他諸々の種目に興味が有って、ふらりと遊びに行っちゃう、という感じかもしれないと思ったのだった。しかも、サッカーだけやってれば良いんだお前は、と閉じ込められたら死んじゃうだろうな。



そう考えると、厄介だなあ、自分(笑)。