普通の人とは

自分がいろいろ巡回するサイトの中で、「普通の人って何?」話*1が持ち上がっているので、私なりに考えたことを書いて見ようかと。なんせ、そんな話になる発端のひとかけをどうやら自分が提供してしまったらしいから。

人間はそれぞれみんな違うから普通の人なんていない、みんなそれぞれ個性的じゃんと言うのはその通りだろう。私は、前の会社に勤めていたときに、割合「普通」と表現できる人たちに囲まれていたが、1人1人に相対すればみんなそれなりに個性的な人であったことは身を持って知っている。そしてその人たちが、わたしの感覚からすれば普通なように感じたとしても、世間一般から見れば東大だなんだを卒業した超一流大学の出身者であったりして、じゃあそれが普通なのかというと、なんだかよくわからなくなる。

わたしの中での普通というのは、「多数派」という言葉に置き換えられるように思う。アンケートなんかをやった時に、円グラフの中で一番多い面積をとる選択肢を選んだ人達。世の中には、色んな質問項目があるから、全てのアンケートにおいて多数派にいる人間と言うのは、正直いないと思う。でも、比較的「多数派に入りがち」な人というのがいる。そういう人達を称して「普通の人達」と呼んでいるんじゃないかと、考えてみて思った。それが、まず1つ目の普通の人達。

「○○系」あるいは「中年サラリーマン」「女子高生」「最近の若者」などと、ひとくくりで語られる集団というものがある。その中で(あくまで印象だけれども)「ああ、あいつは正にそんな感じだよね」と納得される人がいる。そういう人達を称して、また「普通の人達」と呼んでいるんじゃないかと思う。まあ、但しそもそも例にあげられる集団名がメジャーなものでなければまた違うんだろうが。

あとは「世の中が常識と思っていることにはまっている人」というのが有るんだろうが、それに関してはそもそもその常識が普遍的なものなのかという前提から始まるので、私としてはコレはちょっとはずしたい。雑煮のもちが四角なのか丸なのか、という論争も起きるように、常識と言うのはとかく「思っている人間」が常識だと思っているだけで、地域特有のものだったり、世代特有のものだったりして酷く曖昧なものだからだ。

2つの「普通の人達」というものに対して私が思うのが「ターゲットになりやすい人達」という呼称だ。「20代未婚職有り女性」とか「30代既婚子有り(子は幼稚園以下)男性」とか、商品のターゲットとして設定される時に「その通りの行動を示しがち」である人のことである。最近の流行といわれるものに比較的沿って行動してくれる人たち、故に、多数派に入りがちであり、集団としてくくりやすい存在となる。


私が「普通って良いなあ」って思わず口にするのは、疎外感からだろう。例えば、ジャンル分けされた時にどこにも入れてもらえなかったり。例えばアンケート結果を見るたびに「その他」にくくられているのを発見したり、そもそも自分が答えようとした時に選択肢が「その他」しか選べなかったり。

別に、反体制な訳ではない。世の中に迎合しないぞと、何か明確な意思や思想を持って物事を判断しているわけではない。でも、気が付くとそんな位置にいる自分に不安を感じ「普通が良いよ」とつぶやくのだ。

そして、一方で、私は心の底では自分が普通だと思っている。世の中の、才能溢れた人たちから比べれば、私なんてなんてつまらないありふれた存在なのだろうと。


結局、自分が「多数派」でありたいジャンルではその中には入れず、「少数派」でありたいジャンルでは多数派に入ってしまっているという、そんな、理想からのずれに私はあがいているのだろうと思う。