俺じゃなくても

とある日、本屋でぼーっとしていたら終電を逃してしまう。 本屋ってモノは私にとって、なぜかトイレに行きたくなる場所No.1でもあるが、 白昼夢を見てしまう場所No.1でもある。 で、気がつくと時間がえらい経ってたりするんだよね。


まあ、それはいい。


で、終電を逃して財布を見たらタクシー乗れるぐらいのお金は有ったが、 どうもその時は白昼夢気分を引きずっていて、歩いて帰れるとごく普通に思った。 と言うわけで、渋谷から三軒茶屋までてくてく歩き始めた。しかし、池尻大橋を過ぎた辺りで急速にお腹が減ってきた私は、 ラーメン屋に入って休憩する事にする。


で、カウンターにちょこんと座ってラーメンの来るのをまっているうちに、 隣の男二人連れが、不思議な会話をし始めた。


「おまえ、俺じゃなくてもいいのかよ。」
「いや、逆だろ。俺じゃなくてもいいんだよ、おまえは。」


何なんだこの会話。

しかもこの後沈黙である。


「(すみませーん、おひや...)」思わず店員さんに掛ける声までささやき声になってしまう。その後ラーメンが到着し、目の前の食べ物に没頭していると、隣の二人の会話も再開された。 もちろん、聞いてない振りして盗み聞く。



そして突然、私に近い方の男が想像だにしない台詞をはく。
「同棲してた3年は何だったんだよ。」



半熟煮卵を思わずどんぶりから吹っ飛ばすところだった。


.....はあ、この人たちゲイのカップルなのね。 (早く言えよ  ←いや、普通言わない。)


でも、おかげで最初の会話の意味が分かってきた。


つまり、「おまえ、俺じゃなくてもいいのかよ」は、 「おまえ、要するに、一緒にいてくれるなら相手は誰でも良かったって事じゃん」 と、浮気をなじる言葉で、 「俺じゃなくてもいいんだよ、おまえは」は、 「おまえは一緒にいるやつがいてもいなくても大丈夫なんだよ、つまり俺は、いてもいなくても関係ない存在なんだろ?」 との、諦めにも似た言葉なのである。


それに気付いて、なんか最近聞いた話だなそれ、と思い出した。自分は自分で独立して立っていて、その自分が相手を好きだというだけではなんで駄目なんだろうか。依存して、おもねって、その人がいないと駄目だと思わせなければ駄目なのか。その、相手に依存されていないと感じられない愛情の捉え方ってなんだろう。


そして、どんぶりにネギしか見えなくなったころ、 「俺じゃなくてもいいんだよ」と言われた男を残して、一人は去っていった。



その人は、取り合えずたばこを取り出して一口吸ってから、「は−−−−−−、ぁ」と 煙を盛大に吐き出した。 突然大量の白い煙がやってきて、私が目をしばたかせていると彼は突然話し掛けてきた。


「きこえてましたよね、やっぱり。」
動揺して、思わずネギを沈める私。
「はあ、かなり。」
「ですよねー。すみませんねー、びっくりしますよね。まったく。」
ネギが再びぷかー、と浮かんでくる。


「何でみんな、比較するんでしょうか。」彼はメニューを凝視しながら言った。 それは、男女の恋愛と男同士の恋愛の比較だろうか、と思っていたら、 再び、彼が話しはじめた。


「向こうが、俺へ気持ちを10あげてると思ってて、俺からの来る気持ちは8だと思ってる。 でも、あくまで10:8なのに、いつの間にか2:0にすり変わってるんだ。 しかもそもそも8だって、あいつが見れば8なだけで、俺からすれば10はおろか12とか20とか100なのに。」
「ああ、なんででしょうね。いっつもそうですよね。」
「そう、わかります?」
「あははー、そうじゃなきゃこんな時間一人でラーメン食べてないでしょう。」


恋愛は絶対評価じゃないと上手くいかない。自分が相手を好きか、相手が自分を好きか。自分が相手に何かをしたいのか、相手が自分に何かをしたいと思ってくれているのか。その、事実だけを見ればいい。でも何故か、自分が好きな度合いと相手が好きな度合いを比べたり、自分が相手に与えた量と相手が自分にくれた量をくらべたりする事を好み、その不均衡さを不満に出す人が沢山いる。


以前かかった肺炎まで引き起こしたような生死を彷徨うインフルエンザも、つい最近引いたちょっとした風邪も、その瞬間瞬間が「一番だるくてつらい」のだ。あとから見れば、インフルエンザの方がそりゃツライだろうよと思うだろうが、今まさに症状で苦しんでいる自分は、今がもっともつらい。過去とか未来とか関係なく、今がつらい。前のインフルエンザの方がつらかったと言って、今の風邪のつらさはなくならない。比べられるものではない。

自分ひとりで完結している事柄でさえもそうなのだ。ましてや違う人間の愛情の深さなど測れるものか。それを無理にして計ろうとすると、結果、目に見えるアウトプット(それは例えばプレゼントの量だったり時間を都合した状況の数だったりいろいろするのだろうが)で見ることになり、その行為は裏にこもっている想いを無視して物質量ではかるということだ。そしてその物質量は、大抵の場合不均衡を生み出すのだ。それを不満に思われたらどうすれば良いと言うのか。



多分、気にするべきは「今の自分が、今の相手にとって一番の存在かどうか」であって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのに。



そしてその悩みは、男女間で有っても男男間で有っても共通の事柄で、そして彼の言葉を借りるならば「世の中に認められにくい関係であるが故に不安になりやすい」ことが生み出した、先ほどの言い争いであり、別れであったようなのだった。


それにしても、何でこういう日に限って澄み渡るように冷たいく、満月が煌々と輝くような印象的な空なのか。満月が何かを呼んだ事にしておこうか、と思って再び帰路についた。