久しぶりの高校野球

昼間にテレビを見られる環境ではなくなってしまった結果、そして何よりも「地元」として愛情を注げる都道府県が無い故に、高校野球への興味が次第に薄れていっていた。生まれも育ちも東京だが、如何せん東京から甲子園に出場している高校は、高校野球の商業的扱いに長けている高校、──まあ例えば帝京とか国学院久我山とか修徳とか──ばかりが出場するが故に、どうも思い入れにくい。一回都立高校が出場したが、逆にそれは私自身が私立高校出身が故にやはりそれほど思いいれることが出来ず.........まあ、そんな感じで高校野球から離れていっていたのである。

最後に「高校野球を見た」という思いが残るのは、松坂がいた横浜高校が出ていたときである。ドカベンの作者である水島伸司をして「僕だってこんな結末、恥ずかしくて漫画に描けません」と言わしめたあの夏の甲子園

春の甲子園において151キロの速球で華々しくデビューした松坂を擁する横浜高校は、まず春の大会で優勝する。春夏連覇をかけて出場した夏の甲子園、1回戦2回戦と勝ち上がり、準決勝において、PL学園と対決。PL学園春の甲子園の決勝の組み合わせと同じ、因縁の対決である。7対7のまま延長17回までもつれ込んだ好試合を横浜高校は17回表、2ランで決着して準決勝に進む。

圧巻だったのは準決勝の明徳義塾戦。前日17回の延長戦250球を投げた松坂を先発させず、控えを初登板させるも6失点、横浜打線は明徳義塾バッテリーに抑えられて0対6。誰もがここで横浜は終わったと思った8回、2点を返し、明徳が投手交代すると試合の流れが突然変わった。パスボール等で2点差に詰め、9回表から横浜は松坂を投入する。前日の疲れも何のその速球は146kmを記録。エースの力投が横浜ナインの勝利への執念を呼び起こしたのか、9回裏、無死満塁から後藤の中前安打でついに6対6の同点。さらに続けて二塁後方へ劇的なサヨナラ打で7対6、決勝戦に進んだ。

勝戦は、松坂が決勝戦ノーヒットノーランという離れ業で春夏連覇を達成。予選を含む公式戦41連勝、更に国体も優勝して前年秋の県大会以来の出場9大会をすべて制覇、年間無敗の記録を樹立している。


これがあまりにも強烈だったが故に、私は未だに茶パツになろうとなんであろうと松坂を応援してしまう。そして、それ以上の印象を残す学校、或いは選手が出てこないが故に、高校野球の興味が薄れていっていたというのも、多分にあるように思う。



ところが、今年オリンピックに世の中の視線が向いている中、久しぶりに高校野球に熱中してしまった。北海道の駒大苫小牧(ついトマダイコマコマイと言い間違う....)と、愛媛の済美の存在である。

済美が春の大会で優勝したのは知っていた。しかも、女子校から共学になったのがつい最近、未だに男女比率は1:9である高校に野球部が出来たのが3年前。そこに強豪との印象が強い宇和島東の監督を務めていた上甲氏を招聘してチームを作り上げ、たった3年で優勝を成し遂げたミラクルチームであると。

しかしそのニュースを春に聞いたときは、さして興味を持たなかったのだが、済美が夏にまた出てきて、しかも順当に、というよりもしっかりとした実力で勝ちあがっていくのをニュースで見るにつけ、俄然興味が湧いてきた。そもそも私は高校野球において、四国に思いいれがある。

私が物心ついたとき、高校野球は池田高校とPL学園が強かった時代である。そして、どうも商業野球的印象が付きまとうPL学園が気に食わなかった私は(故に未だに桑田と清原が好きになれないのである。立浪も)、対PL学園を考えた時に太刀打ちできる存在として、四国出身高校に非常に注目していた。それは池田高校であり、徳島商業であり、宇和島東であり、高知商業であり、土佐高校であった。

そして、アンチPLとも言える様相で、高校野球を見つめてきた結果、四国の高校というものに対しては意味も無く親近感を持っていた。四国の地には、一回も足を踏み入れた事が無いというのに。


その四国から、しかも宇和島東出身の監督が「やればできるは魔法の合言葉(学園歌の歌詞)」を掲げて登場し、しかも運が良いとかそういうものではなく、きっちり強い。



面白い。



これは見るかと、久しぶりに高校野球をチェックし始めた。と同時に、東北高校ダルビッシュ君の存在を知る。済美も応援したい所だが、いやしかし優勝旗をこんどこそ白河の関を超えさせたいという思いも同時に発生する*1

と、思っていたら東北高校は意外に早く敗退してしまう。こうなったら済美しかないだろと思っていたら、突如浮上してきたのが駒大苫小牧高校。北海道の学校である。あれよあれよという間に勝ち上がり、一気に決勝戦へ。神がかり的運の強さというか、勢いというか、チーム全体が波に乗っている感じである。


それを見て思い出したのが10年前の佐賀商業夏の甲子園制覇の時である。私の両親は佐賀出身である。そして、最近こそはなわのおかげで佐賀県が多少有名になったものの、正直言うが何も無い県である。そして、スポーツも弱い県である。ここ最近ラグビーが強いが、まあそれも最近の話。全国大会に出場しても「まあどうせ負けるし」という比較的さめた目で見てしまうのが、どうも佐賀県人のサガというか(駄洒落じゃない)なんと言うか。

その佐賀県代表が、どこか神がかり的な勢いで勝ち進んでいくのを見て、佐賀県人は驚いた。喜ぶというよりも驚きである。どうなっちゃったんだ佐賀、ってなもんで、いまいち信じられないまま皆応援する。そして、応援しながらもどこかで「今度こそ負けるんじゃないか」と思っている佐賀県人達。

しかし佐賀商業は勝ち進み、決勝戦に進出する。決勝戦に進んだ時点で佐賀新聞は号外を発行。進んだだけでである(笑)。これだけ聞いても如何にスポーツ勝利慣れしていない県である事が伺える。そして結局、その勢いのまま佐賀商業は優勝してしまい、しかし次年度以降はまたぱったり、以前の佐賀県に戻ったのだった。

あんなに快進撃だったにも関わらず、プロに進んだ選手は0。甲子園マジックというかなんというか、時の運がもたらしたものなのか、地力で言えばそんなには強くなかったチームの奇跡であった。


しかし、この快進撃の裏で佐賀商業は実は困っていた。お金である。ここまで勝ち進むなんて想定していないものだから、選手達の練習場所代などの必要経費も、加えて応援団を輸送する交通費も、何もかもが足りないのである。実は佐賀商業出身である叔父の家は既に寄付金を出していたが、もはやOB達の寄付だけは足りず、うちにまで寄付金の依頼が回ってきた位。甲子園が沸き返る中、佐賀市内は金策で大汗かいている人たちが沢山である。


とまあ、こんな事が過去にあったものだから、駒大苫小牧が勝ち進むたびに「こりゃ苫小牧は大騒ぎだろうし、お金も足りなくて裏では右往左往しているんだろうなあ.........」なんて思って、妙な親近感を抱いていた。元々高校野球に期待できない土地であり、どう考えても今回のチームも勢いは有ってもどこが強いとはいえないチームであり、まあバランスは取れているけど誰もプロにはならないだろうな、のような色々な点が酷似しているのである。



かくして、今年の夏の甲子園は注目していた済美駒大苫小牧の対決となった。こりゃあ大変だと、テレビも無いのに一生懸命情報をかき集めて速報を追う。


結果はご存知の通り、駒大苫小牧が優勝。ジンクスのように言われていた白河の関はおろか、津軽海峡まで一気に越えて、優勝旗は北海道へ渡って行くこととなった。おそらくその優勝旗も、来年の甲子園では返還の選手一人のみが旗を持って、甲子園出場自体は他の高校が努めていそうな気配も、何だかあの時の佐賀商業に似ていると思ってみたりした。


そんな思いに浸っている中、驚くべきニュースが舞い込んでくる。



なんと、駒大苫小牧の監督は、佐賀商業が10年前優勝したときのコーチだったというのだ。



そんなのありか。いや、彼こそが強運の持ち主なのか。



そればかりは何ともいえないが、しかしそれにしても、久しぶりに見入ってしまった、何とも清々しい夏の高校野球であったのである。

*1:念のため説明しておくと、過去に東北以北の高校が優勝した事は一度も無く、故に甲子園の優勝旗は白河の関を超えられない、ということがジンクスのようになっていたのである