ナンバ考-1

陸上の末続選手の活躍、イチローや桑田の古武道を取り入れたトレーニング、ベストセラー作家齋藤孝氏が取り上げた、などなど様々な要素が絡まって「ナンバ」という日本古来の動きが注目されてきている。

特に着物仲間の間では、頻繁に「ナンバ歩き」というのは話題に上がってくる。着物を着ていて、洋服と同じような歩き方をするとどうしても裾がはだけてきてしまうのだが、ナンバ歩きであれば着崩れにくいらしい、というような理由だ。まあ、着物を着ることで、日本に古来から伝わるものの消えつつある良いもの、を見直そうという心持になりやすいので、そういう作用もあるんだろうとは思うが。


さて、その「着物で着崩れない歩き方」と言うのは、私にとって非常に重要度の高い解決すべき問題だった。

そもそも私は歩くのが早い。身長180cmを越さない人であれば、早歩きをされたとしても追いつける。昔、自衛隊の人間に「歩くのが早い」と言われたぐらいだ。まあ、女性らしからぬ動きだろうが、相当速いことだけは確かだ。つまりは、洋服着用時の私は、かなりガツガツ歩いているという事になる。で、いつもそのテンポで歩いている人間が、着物を着た途端に急に小またでシズシズゆっくりと........というのは土台無理な話なのである。

着物を身にまとうと気分が違う、とはよく言うが、たとえ気分は違えども、所詮性格は変わらないのである。そして私は、そもそも静かに歩くということがしつけられていない上に、「ゆっくり歩いている状態」がものすごくストレスフルなのである。テンポ良くちゃっちゃと前に進めないとイライラする。しかし、日ごろと同じテンポで前に進もうとすると、着物の裾は大変な事になる。

じゃあ、その移動時のストレスに耐えられ無いから着物は諦める、という選択肢も有ったが、じゃあ昔の人はみんな着物だったのにどうしてたんだ、と思われてくる。絶対無理なわけが無いのである。そうなると私は意地になった。絶対、しかるべき前進方法というのが有るはずなのである。


そうして、着物をハレの日だけでなく、ごくごく日常の日も着てみようと思い立ってからこの方「如何に着崩れずに早く進むか」ということの探求が始まったのであった。



まず調べたのが、昔の日本の動きを今に残している「能」「日本舞踊」「古武道」。いろいろ調べているうちに浮上してきたのが「ナンバ」という言葉である。「ナンバ歩き」や「ナンバ走り」、「ナンバの構え」などいろいろ出てきたが、共通するのが「和服に似合った動き方」であるという事だ。これだよきっと、とおもって今度は「ナンバ」をキーに調査を深めていく。


この時点で、私がおぼろげながら理解した「ナンバ歩き」というものは
  現代の普通の歩き方は、右足が前のときは右手が後ろという、手足が前後逆に動きながら進む
ことに対して
  ナンバ歩きは右足が前のときは右手も前と言う、手足が前後一緒に動く
というものだった。

しかしこれはまるで「緊張しすぎて上手く前に進めない人」の様ではないか?ついでに言うなら、それはひどくカッコ悪いのではないか............とは思ったものの、モノはためしだととりあえずやってみる事にした。


家の中で、ノソノソと手と足を一緒に出して歩く練習である。




...............。




ムリであった(笑)。
まず、気を抜けないのである。普段と全く逆の事をしているのだから、ちょっと気を抜いた瞬間にいつもの歩き方に戻ってしまう。そして、一回戻ってしまうと立て直すのがえらい大変で、オタオタしているうちに足がもつれてコケるのである。


   _| ̄|○


これでは早く進むも何も無いではないか(笑)。やはり、生まれて20数年間染み付いた習慣と言うのはもう、抜けようの無いものなのかもしれない。昔の人は、最初からナンバ歩きだから大丈夫だったのであって、そうでない私は無理なのだ..........と、思いつつ「もしかして洋服だからこうなってしまったので有って、着物だったらいけるのでは?」と着替えてみたが一緒だった。


こうして、わたしのナンバ歩き挑戦第一弾は幕を閉じ、しばらくの間は裾を豪快にはだけながら、止まるたびに裾の乱れを直しながら着物で歩く日々が続いたある日。



私は両手に一杯荷物を持って、着物でわさわさ移動していた。手ぶらでさえ裾がはだけるというのに、ましてや荷物が多いと来たらさぞかし........と思うのだが、その日は非常に裾捌きが安定していたのである。「何でだろう???」これがきっかけで、再び私はナンバ歩きに付いて考え出す事となった。

そして次に着物を着た日、私は敢えて荷物を胸に両手で抱きかかえるような形にしてみた。荷物を風呂敷に包んで抱きかかえ「お遣いのコドモ」といった風情である。結果、その日もやはり裾捌きが安定していた。


これにより、再度私は「ナンバ歩き」について得た知識を見直してみた。「ナンバ歩き」というのは、手足が一緒に繰り出されるというのがポイントなのではなく、腰を中心にして下半身と上半身をひねらないというのがポイントなのではないか。つまりは、手の振り方と言うのはあまり関係ないのではないか──さらに言えば、そもそも「腕を振って歩く」という概念自体が、ナンバ歩きには無いのではないか──ということである。

多くの文献において、ナンバ歩きの特徴を説明する為に、むやみに現代の歩き方と逐一比較をしたがゆえに、逆にむしろ本質が見えなくなったのではないか、ナンバ歩きの本質は、手足の振り方ではなく、もっと別の所に有るのではないか、と思い始めた。しかも、それこそがもっとも大事な日本古来の動きの核である可能性がある。これは、再度文献を読み直し、検証する必要がある、そう思い始めたある日のことだ。


私は、フィギュアスケートの大会の中継番組をつけていて、熱心に見るわけでもなくぼんやりと流していたのだが、ふと気付いたのだった。



あれ、スケートのこの動きってナンバの動きじゃないか?



そう気付いたら、もうフィギュアの演技などそっちのけで手足の動きに注目。そして、急速に色々見えてきたのである。(続く)