賞賛レベルの読み込み

各国の女性に調査をしたら、日本人女性は他国の女性よりも「自分は綺麗じゃない」と思っているポイントが高かった、とかいう記事が先月ぐらいに出ていた。


それを読んだ時友人が「そんなのカンタンだよ、日本男性が女性を誉めないからだよ」と言っていて、正にその通りだ実にその通りだまったくもってその通りだなあと思ったわけなのだが、ふと、「もしかしたらもっと根が深いかも」と思いはじめた。



そもそも賞賛というものは

  1. 心からの賞賛
  2. 口だけの賞賛
  3. お世辞
  4. 誉め殺し

と、レベルが4つに分かれているとおもうのだが、レベル格差において
  日本:1>>>2>3>4
  外国:1>2>>>3>4
という違いが有るのではないかと思うのである。



「賞賛」という行為に関して、日本は他国よりも重く考えているように感じるわけだ。外国においては「良い物はいい、自分が良いと思ったものは何でも誉める」「自分より優れていると感じたら即賞賛する」という、純粋行為だ。面白かったら笑うし、不快だったら怒るように、感情の赴くままに誉めるわけである。


ところが日本は違う。


「賞賛」することによって「その対象物を賞賛するという判断力やセンスを測られる」という要素が、多分に裏に含まれている。故に「それを誉める事によって自分が見る目の無い奴と思われやしないだろうか」という不安が常に付きまとい、結果「誰もがいいと思うであろう判りやすいものしか誉めない」という保険がかかってくる。まあ、賞賛だけではなく、笑いや怒りにも同じことが言えるので、「感情の吐露」というものに対して他人の目を多分に気にする文化が日本には強く根付いている、ということなのだろうけれど。


こうして生まれる「賞賛」だから、「女性を誉める」という行為に関しても「誰がみても可愛い」「誰が見ても綺麗」という人しか誉められないという状況が生まれてくる。あるいは「彼女、目が可愛いよね」「彼女、足は綺麗だよね」などといった条件付き賞賛になってくる。



つまり日本は判断基準は自分ではなく、世間なのだ。「極度の相対評価文化」なのである。その場の人たちが、おそらく共通に持ちえているである評価軸に対して「その女の子がかわいいかどうか」を評価するわけだ。


だから、偏差値というモノが日本であんなに根付いたのなんて、わかりやすいから以前に文化的な背景も多分に含まれているように思えてならない。学業成績に限らず常に日本人は「周りと比較して自分が何処らへんであるのか」を気にしながら生きている傾向にある。


そして、その評価軸は日本人全体が持っているものであるから、評価する人が周りを気にして発言するように、その評価の対象者も「世間一般の評価と照らし合わせて評価者の発言は適当であるかどうか」を同時に判断しているという状況だ。だから、どんなに相手が本気で誉めようとも「その女の子自身が自分はかわいくないと思っている」状態であれば、「この人は薄っぺらいお世辞をいう人ね」という風に取られてしまうだけなのだ。




昔私が読んだエッセーで「女の子は幼稚園から小学校ぐらいの早い時期に、もう既に自分の器量を見極めている」というのがあり、ああ、確かにそうだなあと思ったことがある。
そう、女の子は小さいながらも、その言葉の端々に含まれるニュアンスや、条件付き賞賛であるかないかを読み取り、さらには自分以外の女の子に与えられる賞賛量と比較した上で「自分の可愛さは世間的に見て偏差値どれぐらい」というのを「自分で判断してしまう」のである。


そしていったんその評価を下したら、それはかなり強固なものとなる。そうなると、自分が下している評価とずれた賞賛が振ってくると「それはお世辞」「それはむしろ嫌味」と、あたかも迷惑メールをゴミ箱フォルダの自動的につっこんでいくかのようにフィルタリングされていくのである。

ごくたまに「自分が評価しているレベルよりも『ちょっとだけ』上」の賞賛が振ってくることがある。こういう時は、その女の子のねじくれ具合が、その賞賛を是とするか否とするかがフィルタリング判断基準になるのだろう。



つまり「日本男性は女性を誉めるのが下手だ」と言うのは簡単だが、日本男性に求められているのは「まずその対象者である女の子が『自分を世間的にどれぐらいの容姿であると結論付けているか』を判断し、さらには『その子の賞賛受け取り態度のネジくれ度合い』を判断し、その上で『その子をちょっとだけ持ち上げてあげられるような賞賛』を提供する」ということなのである。
その男性がいくら対象者を可愛いと思っていても、相手がそう思っていなければそれは効果の無い台詞なのである。男性が「いや、それでも俺はあの子を可愛いと思う」ということを彼女自身に理解させたいのだとしたら、「幼少時代より染み付いた彼女の偏差値基準」そのものを動かす事からしなくてはいけないわけで、それは相当の根気がいることだろう。ここまで来るともはやテクニックの領域にまで突入する。




難しいって(笑)。




ムリムリ。




男性も大変だねえ。という訳で、日本人女性が「私って可愛い!」ってみんなが思う様になるためには、根本的に国民全体がぶっちゃけラテン気質になるしかないのではないか、と思ってみたりした。「それってお世辞じゃない?」と妙に疑心暗鬼にならないノリのよさを持つ、っていうかね。




ちなみに私自身が自分の容姿をどうか思っているかというと「世間一般的に超・普通かちょっと下レベルで、受け取り態度はやや後ろ向きなネジくれ方向」であると思う。あ。別に「だからその辺の誉め言葉よろしく」とか言ってるわけじゃないっすよ(笑)。で、なんでこんなことを突然書いているかというと、本日目にした花嫁さんが実に美しく、ああ容姿って重要だなあやっぱりと思って、ふと自分を振り返ってみて暗くなってみたというタダそれだけなのだが。