終戦記念日に寄せて

自分の友人知人達が、終戦後60年にあたって「自分の周辺の戦争体験を語る人」についてブログやmixi日記で語っているのを目にしました。知人関係は別にかぶっていない人たちなのに、同時多発的におこっているのが何故か興味深く。


という訳で、自分も記しておくことにします。



(1)父
昭和12年長崎生まれ。
終戦時は小学校3年生で、佐賀県小城郡疎開していた。
長崎に残っていた姉(私から見ると伯母)は、8/9の原爆により死亡。父(私から見ると祖父)は、原爆病で2年苦しんだ後昭和22年に死亡。


(2)高校のときの日本史の先生
終戦時に満州に居住。
日本へと逃げる途中、隠れ場所を中国人に見つかるが、母と子供の組み合わせであるのを見ると、殺さずに見ない振りをしてもらえ、それにより無事に日本に帰国できたという。
この経験により、日本の現代史を1年かけてじっくり教えるということに使命感を感じ、私の通っていた女子高で教鞭をとっていた。



それにしても、日本の君が代ドイツ国歌と同じような理由*1で歌わせるといえば、結構皆納得すると思うんだけどな。

*1:現在のドイツ国歌は、本来オーストリア国歌であったハイドン作曲のものを、無理やりヒトラーが奪ったものである。敗戦後ドイツは、自分達の行った非道を二度と忘れない為にも、敢えてこの力で奪った歌をそのまま国歌にすると宣言し、今に至っている。