竹島もこういう戦いにすれば....

極東地域で領土・領海問題(対象:竹島)が勃発しているかと思えば、北極地域でも起こっているらしい。

北極圏の小さな島を巡るカナダとデンマークのケンカがネットの世界に飛び火した。
(中略)
トロント在住の著述家、リック・ブロードヘッド氏は、インターネットのサーチエンジン大手、Googleに、デンマーク側の「ハンズという名前、カナダ的な響きがします?デンマーク語の名前のデンマークの島です」という広告を見つけ、対抗手段としてやはりGoogleに広告スポットを買った。
(中略)
ブロードヘッド氏の広告では、大きな楓の葉をあしらったカナダ国旗に「ハンズ島はカナダ領です」というメッセージが書かれている。

http://duogate.jp/pubnews/odd/story/?nc=00081122603759

ば...................ばかばかしすぎるというか、いや、面白いんだけど「両者ともユーモアのセンスが今後は必要なようだ」と思っているところが、どことなくのどかでいい。



カキの木が伸びてそのカキはどちらの家のものかとか、まあそういう局地的な領空侵犯てきな問題も含め、今後はお互いにグーグルにリスティング広告を出し、よりクリックされたほうが勝ちとか(笑)そういうことにしたらどうだろうかと思うのだがダメだろうか...........。


そのうち「領地問題専門クリエイティブエージェンシー」とか出来たりしてな........(無いから)

駅のコンコースの恐怖

今日も私は駅のコンコースを歩いていた。と、不審な物影を発見し、その瞬間私の視界からはそれしか見えなくなり、気付かないうちに硬直しながら足は止まっていた。根津2匹による夜の散歩に遭遇したのである。



が、根津の存在に気付かない人たちからしてみれば、突然立ち止まり凍り付いている私のほうがよほど不審人物である。変な目で見ながら通り過ぎていく中、酔払いサラリーマンもまた私のことを不審そうな目で眺め、ふと凍りつく私の視線の先に気がつき



「ぬおおおおお?!」



酔払い特有のテンション高い雄叫びを上げながら、根津から体を引いて、その瞬間














    ミ シ












彼はGも踏みつけ、さらに雄叫びを上げていた。




そして私は何も言わず彼を大巻きに避けながら通り過ぎた。ああもう全く持って最近G*1と根津*2が多くて困る。



どうでも良いが、最近聞かれたのでリンクしておく。私はこれくらいGが嫌いである。
http://d.hatena.ne.jp/tsubuyaki_koeda/20040924/p1

*1:G:ゴキ

*2:根津:干支の一番目の奴で割とドブ系

台風7号 通称「バンヤン」

台風がきている。



で、今きているのはバンヤンという名前がついているらしいのだが、ふと「そういえば台風の名前って何かつけ方に法則性とかあるんだったよな」と思いいたり、調べる事にした(また調べものかよとか突っ込んではいけない。ここはそういうブログなのだもはや)。



調べてみると案外あっさりみつかるもので、気象庁のホームページにあった。
コレ→ http://www.kishou.go.jp/know/typhoon/1-5.html

まず、誰が名前を付けているんだ、ということなのだが

台風には従来、米国が英語名(人名)を付けていましたが、北西太平洋領域で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国の言葉で動植物や自然現象に関係する名前)をつけることになりました。

ということで、アジアで発生している気象状況はアジアに名前つけさせろや、それが道理ってもんじゃねえのかい?(なぜか江戸っ子)ってなノリで、主にアジアの国が中心になって名前をつけているらしい。


で、法則なのだが

平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。

ということなので、140個がぐるぐると回るだけらしい。ちなみに1年平均26〜27個の発生だから、大体5年で1巡する状況だ。



しかし、そのあらかじめ決められている140個の名前を見ていると、基本的には自然物なのだが、なんでそれなんだよとつっこみたくてしょうがないモノがちらほら見受けられる。

4:Kai-tak カイタク 啓徳(旧空港名) by香港

なぜ「旧」空港?


と思えば

23:Soulik ソーリック 伝統の酋長称号 byミクロネシア
79:Soudelor ソウデロア 伝説上の酋長 byミクロネシア

酋長シリーズが登場したり。


伝説がらみでは

29:Kong-rey コンレイ 伝説の少女の名前  byカンボジア

伝説の少女................何か萌えの世界を感じてみたり。


かと思えば突然

81:Koni コーニー 鋭く鳴き声をあげる白鳥 by韓国

なぜわざわざ「鋭く鳴き声をあげる」と限定する????


その他にも料理の名前だとか戦士の名前だとか、各国が集まって決めた名前にしては非常に適当すぎる。中には「こんにちは」なんていうのもあって、いや、台風にこんにちはとか言われてもな...........「徘徊」とか、いやしなくて良いですから頼みます、ってな気分だしという気分にしかなれなかったりする。



ちなみに今回のバンヤン

130:Banyan バンヤン 木の名前 by香港

香港の木の名前らしい。



しかし、罠は最後に用意されていた。最後140個目は

140:Saola サオラー 最近見つかった動物の名前 byベトナム

らしい。



なんですか。
「最近見つかった動物」
って。




凄く怪しい。
この上なく怪しい。
とてつもなく怪しい。
可及的速やかに怪しい <日本語変




というか、本当に本当に「あんたら勝手に勢いでつけたでしょ?」と小一時間詰め寄りたい気分になってくる。そういえば最近、別のネタで同じような気分になったことがあったね.......そう、アルプス一万尺ネタであるのだが。







うーん、段々自然科学関係の人たちのノリが信用できなくなってくるのは私だけなのだろうか。







とはいえ、ついでなので調べてみた。その「最近見つかった」とやらを。
さおらー

こんな写真もある

さおらー






怪しい。
何なんだこの角の生えた生き物。



ええと、なになに?



..........「キョンの新種」



キョンって何。



なんか鹿みたいな奴だっけ?



そういえば、君の親戚、アニメに出てなかったっけ?
 やっくる



それにしても、こんな角生やした目立つ奴が最近見つかっちゃうんだ..........。
1972年だって。最近ジャン。20世紀に発見された最大の哺乳動物、そりゃそうだろう。




「シカの風情のあるウシ科の新種」




.......び、微妙な表現だね。
しかし、もういきなり絶滅危惧種なんだね。
http://www.wwf.or.jp/wildlife/redlistanimals/mammal/mamm018.htm





世界って........まだまだ知らないことがたくさんあるんだね。




で、とりあえず、バンヤン君はどれぐらいの感じで去ってくれるのだろうか.........

粋とかユーモアとかクールとか何かそんな感じの

粋、という言葉が有って、でももはやこの言葉は消えて久しいというか、いや消えてはいないんだけれども「粋ってどんな感じ」なのかが共通認識としてもてなくなっているという意味で、消えていると言っていいのではないかと私は思っている。まあ同じような意味で、いなせなとかはんなりとかもあると感じるのだけれど。


和服を着るようになってから、そういうことをとみに感じるようになった。そして同時に、それらの言葉は「和な感じ」に「のみ」ついて回るような印象であったのだけれど、最近その考えは危険なのではないかと思うようになった。



どのあたりのツボが「カッコイイ」とか「面白い」とか「センス良い」とされているのかは、文化における重要ポイントなのではないかと思うわけだ。イギリスのユーモアに、わかるようでわからないような部分が在るように、日本の粋、にだって日本人は共通認識として持っているが、外国人にはわからない、要はツボのようなものというのがあるはずだ。そしてそれは、目に見えるような判りやすさではないはずだ。


うまく言葉には表せないけれども感覚として持ち得ているその「ツボ」こそが、実は文化の真髄なのではないかと思えるのだ。言葉で説明したり、体系化して分類できるようになった瞬間に、それは万人にわかる知識でしかなくなり、誰にでも習得できるものに落ちているように感じる。


だから、豊かな文化とはある意味、その社会において長年にわたって積み重ねられてきた「うまく説明できないけれども脈々と受け継がれている何か」の豊かさと言えるのではないかと思うのだ。その、言い表せられない何かに対し、神秘性をを感じたりすることが、その文化への尊敬の念や憧れに繋がっていくのではないだろうか。


ゆえに、例えばアメリカに文化がないといわれるのは、歴史が浅いという以前に、移民国家であるがゆえに「ありとあらゆるものを相互理解できるように体系化し、言語で説明できるようにする必要があった」ということが大いに起因してはいないだろうか。そしてそれが「凄ければいいってもんじゃないんだよ」「金さえ稼げればいいってもんじゃないんだよ」という、アメリカ以外の国からのそれこそ「うまく説明できないけれど何か感じる不快感」に繋がっているように感じられる。


逆にいえば、うまく説明できない感覚的な何か、が共通認識ではなくなったとき、そこに文化があると言えるのだろうか。そこに残っているのは、表層的な知識だけではないだろうか?表層的な知識は、資料として残りつづける。しかし、感覚的な何かは、その文化社会における伝承で伝わるものだ。




現在、いわゆる日本文化といわれるものは、習い事的な物、つまりは特殊なものとされてしまい、その特殊世界でのみ伝承されるものとなってきている。しかしそんな一部社会のものではない、いわゆる日本民族として持ちえていた伝承的な感覚的共通認識も日本文化というべきものの1つであるはずだ。もっともっと、庶民的な感覚的共通認識というものだ。そしてそれこそが、いまや崩壊はしていないだろうか?いや、既に自分自身がそれを伝承されていないのではないか。



迎合と理解は違う。迎合は相手にただあわせていれば良いだけだが、理解はこちら側も努力しなくてはならない。日本文化の静かなる喪失具合は、戦後主に欧米諸国に対する迎合から起因してはいないだろうか。そしてそのうち「理解」を行うベースすら失ってしまったのが正に今ではないのだろうか。ベースは地味であるだけにおろそかにしがちで、それゆえに気付いたらなくなっていたというのが現状か。だが、その地味なベースこそが重要で、しかしどう考えても今それは消えかけている。日本のわけわからなさ、日本人が海外に出たときに感じる自己の薄っぺらさは、それが起因してはいないだろうか。




もしかして、だが。


単に私の勝手なる期待でしかないのかもしれない。しかし、最近の「和文化流行り」は日本人全体で「消え行く共通認識」への恐怖を、おぼろげながら感じ取っている最後の足掻きであるのかもしれない、と思わないではない。これ以上失わない様にと、民族的本能が働いているのかもしれない。

そうであったら良いな、と思う。そして少なくとも今、自分が失わずに持ち得た日本的共通認識を、伝承していくことが出来れば、それはこの上なく幸せであると思えてならない。さらには、まだ可能であるレベルのものであれば、これからでも良いから自分も伝承されたい、と思ってやまないのである。











完全なる余談だが、最近海外で受け入れられている新しい日本文化というと、いわゆる「萌え」系なわけであるが、それこそ「なんとも説明しがたい『萌え』という共通認識」という確固たるベースがあり、その上に構築された事象であるがゆえに、深みや何やらがあるのではないかと思わずにはいられない。という意味では、日本文化は色々なものを失いつつも、新たなるモノも生み出している訳で、そこらへんは評価すべきものなんじゃないかと感じたりしている。

時は淡々と進んでいく

大学時代、マクドナルドでバイトしていた。実質働いていたのは1年半ほどだったのだが、自分の人生においてかなり濃密な体験の場であったと豪語できる空間であった。たかがマクドナルドバイトごときでと思われるかもしれないが、確かに自分が働いていたあの当時あの店は、最高の店長と最高の社員と最高のアルバイト達で構成された、最高のお店だったと言い切れると思う。まあ実際に、マクドナルド社内で全て最速で昇進し続けた店長の元、鍛え上げられた社員達とアルバイト達が「日本一の店」を目指し、実際に日本一の店(マクドナルド評価基準によるものであるが)であったのだから、豪語しても良いような気がする。偶然とはいえ、たまたまその場所で私はアルバイトできたことを、今でもとても幸運だと思っている。(普通の方はたかがマクドナルドと思われるかもしれないが、本当に最高だったんだよ!)


その最高の空間の立役者である、優秀なる店長が転職することになったということで、久しぶりにバイト、社員一同で集まって飲み会をした。店長(まあ現在はもっと偉くなっているわけであるが)の壮行会であり、社員・バイト一同の同窓会であり、久しぶりの再会を祝いつつ大いに飲み、騒ぎ、お互いの空白の数年を語り合いつつ、バカ話をしつつ、将来の展望を語りつつ、その場にはいない仲間の近況を知らせ合いつつ、延々と話は尽きない。


しかしふと、音が止まる瞬間というものがあり、その空白の瞬間を皆で酔っ払いながら「何だよ、しーんとしちゃったじゃねーか」「霊が通ったんだよ霊が」などと笑い飛ばすのであるが、そう流しながらもふと我に返る。


こうやって一堂に会したときに思い出さずにはいられない人がいる。


あの日、朝から働いていたのは4人だった。5時半から出勤し、7時にお店を開け、お店が開いてお客さんを迎え入れつつ1時間ほどぐらい経った所で、その人がやってきた。お店の様子を見て「落ち着いてるみたいだから、事務所で事務処理してても平気かな?」と聞かれ、アルバイト一同「大丈夫っすよ」と笑って答え、笑顔で彼を事務所へと送り出した。そして、9時を過ぎてアルバイトが2人来て、そして朝から働いていた4人が交代で事務所で休憩を取り、休憩から戻り、昼間のピーク時に向かって、アルバイトは増え続け、事務所は人が入れ替わり立ち代り出入りするようになる。

そして、その中の一人が事務所の掃除当番で、掃除用具の入った倉庫を開けた時に、そこには首をつって自殺していたその人がいたのだった。

もし自分が休憩の時に倉庫を明けていたらもっと早く発見できていただろうかとか、でもその発見したことが果たして彼にとって良い方向に向かったのだろうかとか、考えても仕方が無いことながらも未だに頭の中はぐるぐる回る。そして、一つには絞れない色々な要因が次々に浮かび、到底防ぐことが出来なかったであろうことに思い至り、自分の無力さを思い知る。


ふっと、場の音が途切れた時に、私の真横にはまさに発見者の女の子がいて、隣には私の前に休憩を取った人がいて、斜め前には一番最初に事務所に戻って着替えて帰った人が座っていることに気付き、思わずその事柄について発言しそうになり、はっとして自分を抑える。


その事件は、誰もが心を痛めながらも、仲間内ではもう決して口に出してはいけない出来事だ。それを知る誰もが、もしかしたらと悔やみつつ、自分の中でひそかに消化していくしかない出来事だ。そして、その話題が出ないことこそが、その事件が風化していないことを何よりも証明している。さらには、誰もが消化しきれていないことを証明している。


その当時高校生だった子が、いまや社会人として企業で働いている。
あの時お葬式で、何も判らずお母さんにくっついていた二人の乳幼児は、もう小学生になっているはずだ。



月日は淡々と過ぎている。
少なくとも、あの場に出くわしたそれぞれは、それぞれ固有の方向へ人生を着実に歩んでいる。
出来ればあの事件で心に傷を負った人たちが、立ち止まったままでなければよいと願う。
物事を忘れないのとしがみつくのは違うから。





そんなことを瞬間に思い巡らせつつ、再び場が喧騒に戻ると共に、自分もまたバカ騒ぎに参加する。



あの人と同じ歳になる時も近い。

JR

地震があって、まあ交通機関が見事に麻痺していたのであるが、案の定というか復旧が一番遅いのがJRである。でまあ「他の私鉄各線はすぐ復旧するのにJRは何で遅いんだ!」とか、別に怒ったってしょうがないのにわめいているおっさんとかがいる訳であるが、そういうのを見るたびに思い出すことがある。



昔、総武線に忘れ物をしたことがあって、降りた瞬間に気付いたのであるが、電車はもう行ってしまい後の祭り。仕方なくその足で、駅員室まで歩いていき「今言ってしまった電車の何両目の網棚に、これこれこういう荷物を置き忘れたのである」という説明をしたら、「次の駅で発見したら、車掌が保管しておくので、そのまま三鷹から折り返すのを待ってもらえればこの駅で受け取れるけどどうする?」と返された。そうでなければ、後日三鷹駅にとりに行く羽目になるらしい。うーむ、一瞬悩んだが、その当時の私は暇な大学生だったので、そのまま待つことにした。


待ちますといったら、じゃあここにでも座っててと、何故か麦茶が出てきて、昼間の空いた時間の駅員室で何故か駅員達と雑談をする羽目になる。


その日たまたま、人身事故があったらしく、話は何故かその方向へ。ふと「人身事故が発生してから復旧するまでどういうことをしてるんですか?」と聞いたところ、待ってましたとばかりに駅員さんは語り始めた。


内容としては、人体復元の話とか(うげえええ)、JRは警察による現場検証を先にやるから復旧に時間がかかるんだとか(私鉄は現場検証は終電が終わったあとにやるので、復旧が早いそうだ)そういう話で、とにかく安全確認にどの会社よりも時間をかけるんだ、という主張と、それからダイヤの複雑さが回復速度の障壁になったりもするんだという話しを嬉々として語ってくれたのだった。


その、安全を大事にしていますという話と、警察の現場検証が先、という話を私は結構気に入って、そもそも国鉄・JR好き(単に最寄がJRだからというだけ。あと地下鉄は暗いから嫌いだし、私鉄はそもそも乗る用事があまりなかったので親しみが無いというのもある)であるの想いをさらに強くした記憶がある。そう、なんだか杓子定規だといわれようとも「俺は安全第一主義なんだよわりーか!」とでも開き直りが聞こえてきそうな現場のオッサンの堅物風、という方針が私は結構嫌いではない。



とまあ、そんな訳で、地震で遅れまくっている電車を見て「すーざまじく遅れまくってますけど、絶対安全って判明するまで頑固一徹回復させない姿勢を私は支持するよ」とのんびり構えていたが、それはいいとしても、さすがに状況報告とかの館内放送が少なすぎるんじゃねーのか、とは途中で思い始めた。忙しくって大変なのはわかるんだけどさー、そういう時こそ接客業魂ですよJR様、と念じつつも一向にかなりの放置プレイ.......。暇をもてあまして元JR関係者に「こんなに復旧が遅いのは、やっぱり安全確認とダイヤの過密具合のせいですか」とメールでも打ってみると「西で事故があったから、余計に安全確認が丁寧になってるのもあるかな」と返ってきた。


あー、そういうのもあるのか。


っていうか、そこら辺斯く斯く云々で皆様お待たせしてますって、数分おきに放送でも入れればさあ、ほら、そこで奇声を上げているとしか思えないオバサン集団とか静かになるわけでさあ................と、ややお役人体質の残骸にイラついてみたりする。



そしてイライラついでに「そういえば、就活の時JR東日本落ちたんだった.....」等とどうでも良い事を思い出し「っていうか、最近のエキナカプロジェクトって、私が面接で言ったことそのまんまじゃねーか、どうせやるんだったら一匹ぐらい雇っとけよ全く、最終で落としやがって!」などと、明らかに間違った方向に怒りが向いていくのだった........(笑)。



で、とりあえず田町から新宿に行くまでに1時間半ぐらいかかったのだった(普通は20分ぐらい)。疲れた......。で、しつこいけどJR東日本様、不必要な火の粉を払う為にも放送はもっと入れたほうが良いと思われます(って、ここで書いてもしょうがないけど)。

追悼

先日、中高時代の友人の十周忌を迎えた。

女子高ゆえに、それはもちろんは学外に彼氏がいる子もいるにはいたが、殆どが彼氏がいる自分なんて想像もできない遠い遠い存在だった様に思う。しかし彼女も私も共学の大学に進み、彼氏という存在が一気に近い物になった。女の子同士の秘密の恋愛話なんて、自分たちには関係ない領域のように思えた世界だったのに、急速に身近になっていた。そして実際お葬式に寄せられた言葉を見る限り、おそらく彼女にはその当時好きな対象がいたはずで、でもまだそれは成就はしておらず、ただなんとなくそれは遠かれ早かれ成就したのではないかという匂いを感じさせた。


それを感じ取った時、私は彼女の目指した教職の夢の成就とか、そういうもっと重要そうなことが実現できなかったという事実への嘆きよりも何よりも「彼女に、好きな人がいて、その好きな人と思いが通じ合っていて、ただそれだけがすごく幸せ」という想いを成就することなく逝ってしまったという事実に、涙がこぼれた。


人生なんて、些細な幸せの積み重ねだ。彼氏が出来て嬉しかった、彼氏と食べたご飯が美味しかった、喧嘩したけど仲直りできたとか、そんなそんな小さなことを、嬉しそうに報告する彼女を私は見たかった、それを、毎年のように思う。試験に受かったとか、試合に勝ったとか、夢がかなったとか、すごいものを見たとか、面白い出来事があったとか、それらに対する表情の変わり具合は、中高時代にさんざんっぱら共有したように思う。

ただ、嬉しそうに、ちょっと恥ずかしそうに、でも何よりも幸せそうに恋愛について語る表情はおそらく共有したことがなくて、その表情を知らずに抜け落ちていることがただ無性に悲しさを増させるのだ。たとえそれが良い恋愛でないのだとしても、ある一瞬だけでも物すごく幸せな瞬間と言うものがあり、それさえも知らずに彼女は亡くなってしまったのか、と思ったときに、もはや実体の無い彼女の体を虚空をつかむように抱きしめたくなる。嗚呼、もし生きていたとして、この10年に積み重ねられた幸せとは一体どんな変化を君にもたらし、私の前に立っているのだろうか。


そして、そう思うたびに恋愛も友情も仕事も何もかもひっくるめて、人と人との出会いを疎かにしがちではなかったかとその1年を振り返る。彼女が出来なかったことをとか、彼女の代わりに、何てそんなおこがましいことは考えない。ただ、一期一会を大切にしなくてはとまた新たに心に刻み、きっとそれが自分なりの彼女への追悼なのだと思いながら、また日々過ごしていくのみである。